こんばんは、赤塚です。
トゲのあるタイトルをつけてみましたが、
結構本音の言葉です。
僕は20代後半からこの業界のお仕事に携わっているのですが、
やっぱり何でも、最初って「バランス」や「勝手」がわからないものだと思うんです。
いい塩梅で物事ができずに失敗したことってたくさんあるんですが、
その一つが『生徒との距離感』です。
親子でも難しいと感じる距離感かと思いますが、
生徒との距離感も、やっぱり難しいものがあるんですよね。
中学生は特に、「子どもでもなく、大人でもない年齢。」なんて表現されますが、
何がベストかなんて、いまだによくわからなくて。
それでタイトルの言葉なんですが、
「先生~。今日、学校で疲れました~。」
そんな一言、声に出して発しているわけではないんですが、もう顔に出まくっている生徒が多数おりまして。(笑)
これまでは、そういうことを聞いてくれる場もあんまりないのかも?なんて思いつつ、
生徒の話を「ふんふん。」と聞きながら、受け止めることが多かったんですよね。
個別の会話ならそれも1つなんですが、
集団授業ともなると、その『負のオーラ』はもうスーパーサイヤ人3になったときに悟空みたく凄まじいものでして。。。(伝わらない方、すいません。笑)
そういったオーラの生徒の話を聞くと、決まって教室の雰囲気も最悪になってしまうんですよね。
恥ずかしながら、そんな時間をここ、まなびカレッジでも幾多も経験したことをここにお詫びさせてください。。。
ですが、こういった経験をしてくると、本当に意味での『優しさ』について考えることも多く。
大人が、先生が、塾が、「先生~。疲れました~。」という言葉をどれだけはねのけられるか。
そして、「そんなの知らん!!」と言えるかどうかが、僕はものすごく重要だと思ってるんです。
特に中3生にはそういった関わりを意識しています。
とある日、中3生に伝えたのは、
「塾に入ったきっかけって、みんなそれぞれだと思う。
中1の頃に、親に入れられた、って人もいるでしょう。
でも絶対忘れちゃいけないと思っているのは、君たちには"やめる権利"があるということ。
これは何も、みんなにやめてもらって結構、ってそんな話をしたいわけじゃない。
今の忙しさも、大変さも、疲れも、苦しさも、全部自分で選択したこと。
親が辞めさせてくれない、なんて言いたい子もいるかもしれないけど、
親と殴り合いの喧嘩をしてでも行きたくないと言ったわけではないでしょう。
やるも、やらないも、全部君たちに権利がある。
そしてその上で、君たちは自分自身で”塾に来る”という選択をしている。
先生はそうだと思ってるし、そうあるべきだとも思ってる。
だから、自分で選んでて、自分で"疲れた" "嫌だ"みたいなのは先生は変だと思う。
塾に来る、という選択をした以上、やれるだけのことやって今日を終えよう。
愚痴ならそのあと、いくらでも聞くよ。」
本人が持ち込んできた問題を、すべて大真面目に受けていてはいけません。
子どもたちが、自分で考え、自分で選択し、自分で悩み、そしてまた選択していく。
そうやって、問題を問題視しない関わりもまた、『優しさ』かもしれませんね。
今日はこの辺で^^