「繰り返し解く」



とか



「復習を大事にすること」



とか




そういうことももちろんあるんですけど、




「どれだけ、×になる問題と出会えるか」





だと思っていて。





シンプルに考えるとわかるんですけど、




「1+1=?」


という問題



中学生ならもちろん即答じゃないですか。




「2×6=?」



これも当然、即答で◯じゃないですか。






そうしたときに、



「この◯には、"成長"という視点で見たときに、価値があると思いますか?」



という問いには、多くの人が





「 NO 」



と言うはずなんですよね。




だって、もうすでに習得し、できる問題を取り組んだところで、そこに成長はありません。





でも、なぜだか中学生になると、



「 解いた→◯だった→よかったね 」



になりやすくないですか?





もうすでに、その問題は十分にクリアしているはずなのに。




そして、




「 × 」= ダメなこと





みたいな、謎理論がいつの間にか出来上がっちゃってて。






そりゃ、誰しも毎回×だったらやる気が下がっていくのはわかるんですけど、




それも、捉え方次第だと思うんです。





塾では



「 × 」= 成長のチャンス


そこに、より成長できるヒントがある





そんなことをよく伝えています。




だからこそ、生徒によっては、




「初めて解いた問題が◯ばかりだったってことは、



この1時間は特に成長はなかったってことだね。」





そう伝えることもあります。





逆に、×問題が出てきたときには、




「難しい問題にチャレンジしたんだな!


何が惜しかったのか、解説を見てみよう。ここに、より点数が上げられるヒントがあるよ。」




そう話しています。






×問題と出会うことを、大人も子どもも、もっと温かく捉えたい。




子どもが自転車の練習で何度も失敗したあの時。



なんとかつかまり立ちしながら、テーブルの端で不安定な足腰で立ちあがろうともがいていたあの時。



子どもたちは、へこたれずに何度もチャレンジしたと思います。



そして、その先に今があります。





子どもは元々、自然と「がんばろう」と思える存在です。





「いつから、チャレンジを恐れるようになってしまったんだろう。」







そう考えると、子どもの可能性を奪う関わりをしているのは、実は僕ら大人かもしれないな、と。







だからこそ、日々学び、考え、試行錯誤し、



誰よりも大人が、成長していくべきですし、その姿を子どもに、



背中で魅せられるかどうか。







僕たち大人が、自分の親の背中を見て育ってきたのと同じように、




子どもたちも、今まさに僕たちの背中を見て育っています。






大人も、子どもも、もっと「チャレンジ」していこう。







チャレンジとは、無謀なことや自分の能力の少し上のことに挑むことではなく、




「自分1人ではなし得ないことに挑むこと」




そうすれば、子どもと一緒に、僕たち大人もより「自信」が増すんだと思っています。





赤塚

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