この2学期末テストにて、中3生の国語のテストで、


つい目に留まった文章がありました。



一部書いてみると、


「膨大なデータと強力な計算力で最適解を導き出す人口知能。

それに対し人間は、経験から培った「美意識」を働かせて物事を判断しているといえます。

(中略) 

つまり、私たち人間は、どこまで評価値の判断を参考にするかまで含めて、

選択肢を考えていくことが必要になります。

そして、このような判断力は、普段から自分で考えることでしか、やしなわれないのです。」



このような内容の文章でした。


僕が個人的にものすごく惹かれた部分が、


” このような判断力は、普段から自分で考えることでしか、やしなわれない  ”


という一文。



まさに、ここに勉学の価値と、これからの時代に非常に大切な部分だと感じています。




というのも、ある日中3生に、プログラミング体験をやってもらったときのこと。


どうにも、うまくできなくて、次のステップへ進めない生徒がいました。



すると、一人、また一人と、その生徒のもとへ駆け寄り、


アドバイスをする生徒が現れ助けていました。



その光景が、とても頼もしく、温かい空間であった反面、


「そのアドバイスは、はたして本当にその生徒のためになるのだろうか。」


と悶々とし、僕はサポートしていた生徒たちに、


「助けなくていいよ。自分でやらせな♪」


そう言い、各自を席へ戻らせました。




その後、その生徒はイライラしながらプログラミングに取り組んでいましたが、


時間が終わり、休憩に入った途端、


「なにあれ!! なんであんな動きするのか全然意味わからんし!!!」


と、非常にイライラしていましたが、僕はその姿を見て笑っていました。笑




こうやって書くと、僕が性悪に見えてしまうかもしれませんが、


いや、それでいいと思うんです。


だってその生徒、そんなにイライラするほど、何かに集中して考えていた姿なんてほとんど見たことがなく。


イライラできるなんて、何回も頭の中でいろんな思考をしていた証拠だと思うんです。


その日、その生徒が一番、プログラミングをやって得たものが大きかった子だと思います。



たくさん悔しがって、それでも試行錯誤してみて、そのうえで、できなかったことができるようになる。


このプロセスこそが、なにより価値ある時間と経験だと思うんです。



だからこそ、冒頭にも書きました、


” このような判断力は、普段から自分で考えることでしか、やしなわれない  ”


これは真理だと思っています。



とにかく自分なりに考え、悶々とした時間を楽しめるかどうか。


そんな時間をこれからも大切にしていきたいなって思いました^^


赤塚

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