こんにちは、よこやまです。
「詩」っていいなと思うことができるようになったのは大人になってからです。
作者は少ない文章と文字数に思いを最大限に込める。
ダラダラと長ったらしい説明なんて入れません。
だから読み手にもシンプルに伝わる。
でも、シンプルがゆえに、わかることもわからないこともある。
一方でそこを想像するのは読み手の自由である。
どんな思いで書いていたのだろう。
どんな気持ちだったのだろう。
どんな出来事があったから書いたのだろう。
ということは全て、読み手の創造に任せられる。
そこに読む側としての自由があっておもしろい。
もちろん、何も深く考えずに言葉のままに受け止めることもおもしろい。
ぼーっと読んだっていいのだ。
久々に詩集を読みました。
「心」を「亡くす」と書いて「忙しい」と読む
なんていう言葉もありますが
本当に忙しくて心を亡くしてしまいそうだったので
(僕の場合は「自分の余裕やゆとりがなくなる」という意味です)
朝の4時に起きてお風呂に入り、コタツに入りながらぼーっと詩集を読みました。
「坂村真民」(1909‐2006)
という詩人の「二度とない人生だから」という詩集です。
※「坂村真民の名言」はコチラから!
一遍のみご紹介をしたいと思います。
~「愛」~
愛には
意味づけなど不必要だ
何でもない愛が
本当の愛なのだ
水が流れてゆくような
風が薫ってゆくような
そういう愛を
求めていこう
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親が子どもを愛するのに
意味づけなんてものは不必要だし、
説明なんてものもないと思っています
水が流れてゆくようにあたりまえのようにあり、
風に乗せられて季節の薫りを感じるようにあたりまえにある
人は誰しも愛を受けてきました
そして愛というものを心に自然に持っています
人や自然や建物だったり、
きっと愛してやまないものがどこかにあるのではないでしょうか
ロシアとウクライナの緊張感が高まっているというニュースが連日流れています
オリンピックという平和の祭典の裏側で戦禍が確実に近づいていて
漏れなく入れ替わりでニュースに取り上げられる矛盾にも心が疲れます
両国の人たちの心にも「愛」はあるはずなのに
戦争が止められないかもしれないのはなぜなんでしょう
明日、この戦争で小さな子どもが命を落とすかもしれません
僕はこれを遠くの国の他人事だとは思いたくないのです
そんな風にざわついた心を癒してくれたのもまた
坂村真民の詩たちでした
画像は2月14日に生徒がくれたチョコレートです
ひと言でも「ことば」をもらえるってのは嬉しいものですね♬
